もう波平さんにはなれない
先日”Yahoo! ”で面白い記事を見つけたので、ご紹介します。タイトルは『もう波平さんにはなれない』です。(波平さんの本名は「磯野波平」。誰もが知るTVアニメ『サザエさん』に登場する「サザエさんのお父さん」)
『もう浪平さんにはなれない』
かつて日本企業の定年は55歳だった。それが60歳定年になり、今では「生涯現役」の旗印のもとに65歳を過ぎて働くのも珍しくない時代である。そうした中で、今年4月からは年金受給開始を75歳まで繰り下げできる制度もスタートする。たしかに繰り下げ受給によって年金受給額はアップするが、こうした状況に「多くの人は『いつまで働かせるの?』と思うのではないだろうか」(中略)
『サザエさん』に登場する磯野波平さんの年齢は、アニメ版の設定では54歳となっているようです。先日、ネットで話題となったのは、波平さんの給料が78万5420円と書かれた明細書が登場した2021年8月の放送回。これに12を掛けたら942万5040円。ボーナスが4か月分としたら年収1256万6720円! これにマスオさんの年収を合わせたら磯野家(とフグ田家)、かなりの高収入世帯となります。しかも、5部屋+台所の大邸宅に住んでいるわけで、とんでもない「上級国民」です。
正直今の日本は、かつての「55歳定年」から隔世の感がある状況ですよね。元々、多くの日本人男性は「55歳とは言わぬまでも、60歳の定年まで粉骨砕身、会社と国のために働けば、あとは年金をもらいながら、悠々自適に趣味や旅行に打ち込める“第2の人生”を過ごせるはず」という神話を信じていたわけです。
ところが、いつしか「年金は65歳から」となったかと思えば「70歳から」になり、今は「75歳から受給すれば毎月の受給額は激増だからね」との囁きが来る。つまり、「70歳過ぎても頑張って働こうね!」というわけです。
正直、男性の健康寿命が72歳代の今、75歳から年金もらって何になるのか、と思ってしまいます。
私は60代の元気な内に、それまで貯めた貯金とその時もらえる年金を使って海外旅行に行きたいと思いますよ。
中川淳一郎 「『もう波平さんにはなれない…』75歳まで働く時代到来にロスジェネ世代の嘆息」 Yahoo! JAPAN News
https://news.yahoo.co.jp/articles/1ea45e547aed4f8fd23036e7624cc9001e09a53a
サザエさん一家の食事風景
長谷川町子さんがTVアニメ『サザエさん』で描いているのは「昭和の日本」。家族全員が笑顔で食事する、懐かしくも、微笑ましい昭和の団欒です。
しかし、この画像を令和4年(2022年)の視点から見ると違和感が生じます。いまの日本では、ありえない光景でしょう。
昭和の食事風景に対する違和感
- 各家族化が進み、同居している親子は少数派
- 同居していても二世帯住宅が多く、
一緒に食事する親子はほとんどない - 波平さんと妻フネさんが和服
- 小学生のカツオが丸坊主
- 丸いちゃぶ台で正座して食べている
しかし、激変したのは家族の食事風景だけではありません。60歳定年後の人生、そのものが変わってしまったのです。
我々が浪平さんになれない理由
昭和の時代なら「60歳で定年退職したら余生を楽しむ」「長患いせずポックリ死ぬ」といった老後が可能でした。
しかしいま、そうした生活は想定できません。主な理由を挙げてみました。
- 終身雇用はすでに崩壊している
- 寿命が長くなった
(ピンピンコロリでは死ねない) - 年金が減額され受給開始も遅くなった
- 60歳以降は派遣かパートしかない
終身雇用はすでに崩壊している
50代のシニアなら、ギリギリセーフかもしれませんが、終身雇用制度自体はすでに崩壊しています。
もはや、トヨタやサントリーといった超優良企業さえ終身雇用はありません。すでに経営トップが「終身雇用は維持できない」と公言しています。
2021年9月の経済同友会のセミナーで、サントリーの新浪社長が「45歳定年制にして、個人が会社に頼らない仕組みが必要だ」と発言して大炎上!
2019年10月の日本自動車工業会の会見で、トヨタ自動車の豊田社長が「なかなか終身雇用を守っていくのは難しい局面に入ってきた」と発言して物議をかもす。
こうした経営トップの発言によらずとも、早期退職・希望退職の募集が当たり前になりました。大企業の社員でも、定年まで勤められない時代になったのです。
さらにコロナ渦による業績不振が追い打ちをかけました。2020年18,635人、2021年15,892人もの早期退職・希望退職の募集が行われています。さらに、2022年も前2年並みの高水準で推移すると予想されています。
企業は割増金を積み、早期退職・希望退職を使って社員を減らし続けています。しかも、繰り返し、継続的にです。
令和4年現在、終身雇用が期待できる組織は、公務員とインフラ企業(鉄道、電気、ガス)くらいではないしょうか。
寿命が延び、ピンピンコロリでは死ねない
2020年、日本人は世界で一番長生きになりました。60歳の男性はあと22年弱、女性は28年弱生きます。
まことに喜ばしいことですが、長く生きるとなれば老後資金がたくさん必要になります。それを「貯蓄と年金だけでカバーできるのか」と心配になってきます。
ピンピンコロリでは死ねない
「病気で苦しむことなく、元気に長生きし、最後は苦しまず、コロリと死にたい」(中略)
「いわゆるピンピンコロリで死にたい」と考える方は多いかもしれません。しかし、現在このように亡くなる人の割合は、男性で10%、女性で2%程度。
1970年代に心筋梗塞を患い亡くなった方の4分の3の人は現在のカテーテル治療では助けられるとも言われています。
かつては治療が困難で、死に至るレベルだった急性疾患であっても、助けられる事例が増えたことがこの一因だと言われています。
従来の「人生70年時代」では、死ぬまで認知症になったり、寝たきりになったりしなくても最期を迎えることができたのですが「現在は病気で簡単に死ねない時代」なのです。
「ピンピンコロリ」に代わって、昨今増えているのが「凸凹パターン」。つまり、心筋梗塞や脳梗塞など急性疾患を乗り越えた後、後遺症を抱えるなどし、身体機能の低下を抱えたまま、最期を迎える状態だと言われています。(中略)
しかし、「凸凹パターン」の状態はいわば、「病気で長年苦しみ、長年医療費を払い続けるというつらい老後を送るリスクがある状態」とも言い換えられます。
「できれば避けたい」と思う人も多いのではないでしょうか。
横山啓太郎『健康をマネジメントする 人生100年時代、あなたの身体は「資産」である』CCCメディアハウス
年金が減額され受給開始も遅くなった
60歳を過ぎたら派遣とパートしかない
厚生労働省の調査(平成29年勤労条件総合調査)によると、約8割の会社が60歳で定年です。
自社の社員でさえ60歳で定年退職させているのに、60歳前後の外部の人間を、わざわざ正社員で採用するわけがありません。
そう考えれば、企業がシニアを正社員で採用しないのは、仕方のないことです。
あなたがスペシャリスト(専門職)なら、正社員や高給の派遣社員として働くことが可能ですが、ゼネラリスト(専門職以外)ならそれも難しいでしょう。
募集があるのは非正規雇用の派遣やパートばかり、年収200万円が限界です。
シニアの転職・再就職は年収が大幅にダウンする
50代のサラリーマンが高収入だった理由は、仕事の能力が高いからではありません。日本の企業が年功序列賃金が採用していたからです。
年功序列賃金は生涯収入の”長期後取り制度”です。50代が高収入の理由は”仕事の能力”ではなく”在籍年数の長さ”なのです。
つまり、シニアが転職・再就職をするということは、何らかの理由(倒産、リストラ、早期退職etc.)により、こうした”年功序列賃金の組織から離れる”ことです。
ゆえに、50歳以降の転職はよほどの専門的なスキルがない限り、収入の現状維持は困難です。特に大企業に勤める人は大幅な給与ダウン必至。たとえ運よく転職できたとしても、年収が半分以下になる可能性が高いということです。
また、離職後1年以内に次の仕事が決まる割合も55歳以上は4割しかありません。下手をすると1年以上無職になる可能性だってあります。
- 正社員の求人はほとんどない
- 派遣やパートなら求人はたくさんあるが、非正規雇用のパートや派遣では年収200万円が限界
では、一体どうしたらいいのか?
寿命は延びた。年金が減額され支給開始も遅れた。老後の資金に不安がある。しかし、働こうにも非正規雇用の派遣やパートしかない。
こうした状態が単なる過渡期の現象であり、今後だんだんと良くなるのか、それとも更に悪化する途中なのかわかりません。
では、我々は一体どうしたらいいのでしょうか?
ここで、やってほしいのが「仕事の価値観」を変更することです。
成功よりも、生きていく満足感や充実感を
いまや、学校を卒業したら就職した会社で定年まで働き、老後は悠々自適といった人生設計は成り立ちません。どこかで転身をしないと対応できなくなっています。昔より長い人生を生き抜くために「何らかの変化」を求められるのです。
ひとつの解は「仕事の価値観」を変えることです。
ヤングやミドルなら、仕事の主な価値観は昇進や金銭的成功でしょう。
しかし、シニアになったら「日々生きていく中で感じる充実感や満足感」「これまでの恩返しとしての社会貢献」といったものに、仕事の価値観を変えるのです。
あるシニアは、定年退職したら「日本語教師」を始める計画を立てています。「自分が生きた証しとして、最後は人の役に立つ仕事をしたい」という思いが強くなったそうです。その夢が「日本語教師」です。
もし、人助けや社会貢献に仕事の価値観を変えることができたら、閉塞したシニアの世界がパッと開けます。
真っ先に思い浮かぶのが、介護・福祉関係でしょう。社会福祉士、ケアマネージャー、ホームヘルパー、介護士などです。他に就労支援員、生活支援員、NPO法人、ボランティアなどがあり、日本語教師や海外協力の技術者なんかもいいですね。
このように、定年前後から始められることがたくさん出てきます。
たとえ60歳でも、人生100年時代まだまだこれから。健康であれば、あと20年くらいはシッカリ働けます。
金銭的な成功や名誉は得られませんが、人や社会のために働き「日々満足感や充実感を得て生きていくこと」が可能になります。
いまできることを精一杯やる
最後に、若い頃の読書で知った先人の言葉をご紹介します。
たとえ偉人と称される人でも、未来がどうなるかはわかりません。しかし、彼は不確実な未来に対する不安に処する”考え方”を持っていました。
若いときはピンときませんでしたが、自分がシニアになった今ならわかります。
心が不安でいっぱいになったら、つぎの言葉を思いだしてください。